怒りという感情の手放し方

人が怒りや悲しみなどのネガティブな感情が湧く時というのは、自分の常識や価値観と大きくズレが生じた時に起こる。


価値観というのは千差万別。千差万別とは、「いろいろなものそれぞれには、さまざまな相違や差異があること。ありとあらゆる種類、色、形があること。 一つとして同じものはないということ。

正に人間の価値観とはそれなのである。



価値観が違うというのは気の合わない他人だけを差すように思えるが、そんな事はない。


親、子供、夫、etc...どんなに仲の良い友人であっても、我が子であったとしても例外はない。

家族や仲が良い友人は、価値観が「似ている」のかもしれない。でも何かしらは違うのだ。


100%自分と同じ細胞や分子で出来ている人間はこの世に1人としていない。



こんな当たり前の事をわかっていながら、私達人間は時々勘違いをする。自分の常識や価値観と違えば、”普通”はこうだろうと自分の正義を振りかざし、非難する。”自分が正しい”事を確認するかのように、被害状況を事細かにプレゼンし、共感者を探して回る。自分の話だけしか聞いていないのに一緒に相手を非難してくれた(?)共感者こそ本当の友だと信じ、やっぱり自分は間違っていなかったのだと、安心する。


誰1人として元々、100%同じ価値観である人はいない。という事は、自分の価値観だけで誰かを判断する事、ましてや非難する事など「傲慢」以外なんでもないのだ。



価値観が違う事を本当の意味で理解すると、怒りも悲しみも全て自分の問題だとわかる。


許せない事をされて腹が立つという、この「許せない事」は、人により異なる。さらに、こんなひどい事をされたという、被害の大小も自分の価値観を基準とした判断であり、またそれも人により違う。という事は、普通は〇〇でしょ?という「普通」は、この世に存在しないのだ。


怒りを感じる対象に、”なぜそんなひどい事をするのか”という感情が起こる。でも冷静に考えてみて欲しい。なぜそうしたかという問題は自分ではなく相手のものなのである。


相手の問題を、自分の問題として抱え、悶々とし、さらにその相手に真意を確認する事もなく、執拗に怒りと自分の想像力をこねくりまわす。絶対にこうであるはずに違いないと決めつけ悲観したり、怒りの炎を燃やしたりする。これほど無意味で馬鹿馬鹿しい事はない。貴重な自分のエネルギーを無駄に消費するだけである。



怒りにとらわれたら、その根底にある感情を探してみる。それは自分を否定されたり、粗末に扱われたと感じた「悲しみ」や「わかって欲しい」という願いなのか、本当は自分もそれをやりたかったという「羨ましさ」からなのか、拍子抜けする位シンプルである事がほとんどだ。


それが見えたら、”自分だけ”でできる、心が穏やかになれる方法を考える。


それは相手と距離を置く事かもしれないし、相手に思いを伝える事かもしれない。気が済むまで泣く事かもしれないし、羨ましさを感じた事に自分もチャレンジしてみることかもしれない。


ちょっと高級なチョコレートを口に入れて「おいしい」の気分で心を満たす事かもしれないし、飼い犬と戯れる事かもしれない。



悲しみや嫉妬、怒りなど、ネガティブな感情も否定せずに向き合い、その根を探す。根底にある感情はいつもシンプル。不思議なことに、固くもつれた糸がスルスルとほどけるように物事が動き出すのだ。



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